宗教化して行く生放送

放送では宗教の話禁止です。宗教は基本きらいです。理由は自分の頭で考えなくなる、依存した人生になってしまうからです。カルトとかヘンテコなのはわかりやすいから入ってしまう人に問題があるけど、まともなのが怖いです。三大宗教のさらに王道を行っているやつは危険だと思います。数千年の時を経て研ぎ澄まされていてスキがないのです。生まれて数十年の人間が太刀打ちできるようなものではない反駁不可能なもので近づけば取り込まれます。それがなくても生きていけるなら、自分の主は自分でありたいと思います。仏陀やキリストさえも主にはせず信じこまない科学的な論理的な理性を持ちたいと思うし、人格者は自分を信じろなんてことは言わない、むしろ疑えと言うと思います。そういう意味で宗教的なものははかかわりたくない、きらいなものです。

この宗教的なものは無意識のうちに色々なものに入り込んでいるように感じられます。

無料で見れる生放送に匿名のお金を投げている意味がわかりませんし、数千人集めてる主は宗教の教祖に似ている感じもする。妄信と依存とお布施は宗教の要素だと思います。有料放送を見たいから課金するとか、好きな放送のグッズが欲しいとか、リアルに見てみたいから凸するとかは理解できますが、数十万のお金を何の見返りもなくあげてしまう心理はカルト信者心理だと思います。放送主に心理的に同化した状態なのかなと。生放送の中にカルトが存在してたり、youtubeのゲーム動画などを一日中みている子供などは依存なのだと思います。

カルト宗教の教祖は外側の醒めた人から見たらダダの気持ち悪い存在に見えていても、内側の信者から見たら魅力的な存在であり、信じるべき教祖なのです。頭を撫でられるだけで3万円とか、なにもないのに雰囲気で1万円払っちゃうとかは仕組みとして宗教です。

生放送は人気がでると宗教化しやすい落とし穴が待っています。対価のある企業案件に転嫁していければ残ると思います。できないと教祖と信者で誇大妄想を起こし精神崩壊で滅びることでしょう。


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